ぺそけん

同人活動記録と日記と旅行記

自分を見つめすぎるな…!

コロナでもうめちゃくちゃだよ。
今年はいっぱい同人誌即売会に一般参加したかったし(げんに1月2月はちょこちょこ遊びに行ってた)、4月には念願のサハリンにいく予定だったし、それ以外にもいろんな国に行きたかったしおいしいものもいっぱい食べかったし
夏には生まれてはじめての自カププチオンリーに参加できるかと思っていたのに、それもなんもかんも全部ナシになってしまった。
昨日ひさびさに友達と遊んだけど、それも約5ヶ月ぶりという恐ろしさ。
同人誌即売会も次々中止になり、締め切りを失ったタイムラインの同人オタクたちはただのオタクと化して仮初めの自由を謳歌している。

 

私は何かしてないと不安になるタチなので、そんな生活をしていて元気がでるわけもなかった。家にこもっていると自然と自分自身を見つめ直すハメになってしまう。
さいころの記憶を掘り返すところから始まり、やがて「私はなぜこんな自分になってしまったのか…」と深みにはまりかけて慌ててやめた。
子どもの不登校問題だったかに関わっている先生が以前「1人で家にいると自分を見つめすぎてどんどん悩みが深くなっていってしまうが、自分の中に答えはない。外に出て世界をみよう」的なことを書いていて(元記事が見つからないからニュアンス間違えてるかも)確かになぁと思った。

 

自分自身のことで悩むのってある程度は必要なことだけど、ある程度を越えてしまうとねりけしを無限にこねつづけるようなもので、解決方法も見つからないので極めて無駄なんだよな。
あんまり自分のことで悩み続けると、そのうち悩むこと自体が目的になっていくからよろしくない。
心にできたかさぶたを永遠にいじってやぶりつづけて新しくできた傷をずーっといじくりつづけちゃうんだよな。それは自傷であって自慰でもある。
傷をいじくって既知の痛みを感じてるうちは他に何もしなくていいから、「変わる」という未知の痛みやつらさを感じなくていいから安心だし楽だし居心地がいい。
でもそれって全く発展性がないから…。
だから傷から目をはなしてなんかもっと別の熱中できることを見つけたほうがいいんだけど、今はあんまり外に出られないからなぁ…。

 

私は今エンジンがつかなく、感性が鈍磨して何が楽しいのかわからなくて(怖…)自分にとってどれだけ同人誌即売会が大事なイベントだったのか身を以て理解できた。
それはたぶん私だけじゃなく他の人たちもそうで、そのせいで若干インターネットワールドがヒステリックな不穏な雰囲気をもっているように感じる。
早く私も含めたみんながなにかに熱中できればいいのに…と切に願っています。